収録作品
吸血鬼
「吸血鬼」(長編小説)
<あらすじ>
塩原の温泉宿で柳倭文子(やなぎしずこ)を巡り、岡田道彦(おかだみちひこ)と三谷房夫(みたにふさお)は毒薬を用いた決闘を行う。敗れた岡田は「畑柳(はたやなぎ)未亡人」という謎の言葉を残して姿を消す。
それから半月ほどたったある日、三谷と倭文子が泊まっている宿に蛭田嶺蔵(ひるたみねぞう)というくちびるのない老人が投宿する。入浴中だった三谷と倭文子は怪人物が覗き見ているのに気付き慌てて逃げ出すと、宿の裏を流れる鹿股川(しかまたがわ)に水死人が浮かんでいるのを発見する。水死人の顔はくずれていたが、年配や着衣などから岡田道彦に相違ないことが確かめられ、入水自殺であることも判明した。
三谷と倭文子は東京へ帰ると、倭文子は自らが未亡人であること、獄中で病死した百万長者の畑柳庄蔵(しょうぞう)との間に六つになる子ども茂(しげる)少年があることを打ち明ける。
その後、何者かによって茂少年が誘拐され、続けて倭文子も連れ去られてしまう。二人は三谷と恒川(つねかわ)警部により賊の邸内から救い出されたものの、その後も度々くちびるのない怪物の姿を目にした倭文子は恐怖に憔悴していく。その様子を見るに見かねた三谷は倭文子と共にしろうと探偵明智小五郎を訪ねる。
明智は賊の邸内を調べた後、岡田が住んでいたアトリエに行くと、石膏像の中に三人の女の死骸が隠されているのを発見する。続けて小川正一と名乗る客が殺され死体が紛失した畑柳邸を訪れると、今度は明智の助手である文代(ふみよ)が誘拐される。もう一人の助手小林少年から、誘拐された場所が両国国技館であることを聞いた明智はすぐさま国技館へ。文代の機転と駆けつけた明智らにより国技館の屋根の上に追い詰められた賊は、屋根に係留されていたアドバルーンの縄を切断し大空へと逃走するが、風船はやがて品川湾に墜落。三谷のモーターボートを奪って再び逃走を図ろうとした賊だったが、ガソリンに引火してボートは爆発。くちびるのない怪物の死体が警察の小型船に引き上げられた。恒川警部が何かに気付き賊の顔の皮を剥ぎ取ると、それは蝋製の仮面で、醜怪な皮の下から出てきたのは全く違ったもう一つの顔であった。
<レビュー>※ネタバレあり
事件は落着したかに思えましたが、畑柳家の執事斎藤老人が何者かに殺害され物語は続きます。
三谷は斎藤老人殺害の容疑者となった倭文子(と茂少年)を匿い、棺おけに入れて逃がします。その後、火葬場で焼け死ぬ寸前だった倭文子と茂少年を救い出した三谷は、2人を製氷会社の工場へ連れていき氷漬けにします。しかし、氷漬けになった倭文子と茂少年は明智によって蝋人形にすり替えられ、2人は無事でした。
追い詰められた三谷は工場に火を放ち逃走を図りますが、焼け跡から人骨が見つかり、三谷は死んだかと思われました。
それから半月ほど経ったある日、恒川警部の元に倭文子が何者かによって殺されたという知らせが入ります。恒川警部から状況を聞いた入院中の明智が、倭文子が殺された長イスを調べるよう指示すると、中から瀕死の三谷が見つかります。三谷は長イスの中に隠れ、そこに腰かけていた倭文子に短刀を突き刺して殺害したのです。もはや逃げられないと悟りナイフを心臓に突き立て自殺を図った三谷は死の間際、隣に横たわっている倭文子の手を握ります。三谷の心には、倭文子に対する復讐心と愛情が交錯していたのかもしれません。
というわけで、真犯人(吸血鬼)は三谷房夫(本名谷山三郎)でした。
目的は倭文子への復讐です。かつて三谷の兄谷山二郎と倭文子は恋人でしたが、倭文子は二郎を捨て庄蔵の女房となりました。捨てられた二郎は恨みを抱いたまま服毒自殺し、二郎と仲の良かった三谷は兄に代わって復讐の鬼となります。
何度か怪しい場面があるので、割と早い段階から三谷を疑う人が多いのではないでしょうか。両国国技館のアドバルーンで逃走した賊が品川湾に墜落した際、三谷がモーターボートで警察を出し抜いて賊に接触する場面は顕著です。しかし、棺おけの中で焼死しかけた倭文子と茂少年をすんでのところで救出するなど、三谷は吸血鬼ではないと思わせるような行動もとっており、「できるだけ苦しみを味わわせた上で殺す」という三谷の強い復讐心が上手くミスディレクションになっています。斎藤老人を殺したのも三谷で、倭文子に殺人を犯してしまったと思い込ませて苦しませるためでした。
三谷の他にも疑わしい人物がいました。序盤に顔を潰されて水死人となった画家の岡田道彦です。読者としては当然、顔が潰れている人物は別人にすり替わっていることを疑うでしょう。三谷も吸血鬼は岡田だと信じ切っている体で進みます。しかし水死人は岡田本人でした。
明智は「岡田を殺害したのは三谷で、顔を潰したのは三谷によるトリック」という推理を披露しています。少しややこしいですが、「顔を潰した別人の死体を岡田が用意し、死んだと見せかけた岡田が三谷や倭文子に復讐している」と思わせるように三谷が仕組んだということです。実際、歯型によって水死人は岡田本人であることが証明され、吸血鬼は岡田ではないことがはっきりします。
最初に正体が明らかになったのは、アドバルーンで逃走を図った1人目のくちびるのない男です。恒川警部によって顔の皮を剥ぎ取られたこの男の正体は、探偵小説家の園田黒虹(そのだこっこう)という人物でした。園田は三谷の助手でしたが、国技館の屋根に上りアドバルーンで逃げるという勝手な行動を取ったため三谷に始末されました。
小川正一を殺害して死体を隠したのは2人目のくちびるのない男、畑柳庄蔵です。本作でくちびるのない男は3人登場しますが、本当にくちびるがないのは畑柳庄蔵だけで、他の2人(三谷と園田)はくちびるのない蝋製の仮面をつけていました。
庄蔵は生きて刑務所を抜け出ましたが、そのままの容貌ではすぐ捕まってしまうので硫酸か何かで顔を焼きくずし、くちびるのない男になります。その後、庄蔵は畑柳邸の書斎の天井裏に身を潜め、自らが盗み貯めた宝石を見張っていました。すると、かつて仲間だった小川正一が宝石を盗みに来たので、天井から短剣を投げて殺します。しかし、庄蔵も後に三谷に殺されます(庄蔵は二郎の恋敵なので三谷にとって復讐の対象。さらに宝石も強奪)
全体的にはシリアスな内容ですが、中盤の両国国技館を舞台とした大捕物はエンターテインメント的で、アドバルーンでの逃走に至っては滑稽ですらあります。
また、挙げたらきりがないぐらいツッコミどころや回収されないままの伏線が多いです。例えば、倭文子に対する異常なまでの復讐心を抱いていた三谷が5割の確率で死ぬようなギャンブル(毒薬決闘)をするのは不自然です。冒頭の緊張感溢れる場面ですが、もし三谷が毒薬の入ったグラスを選んでいたらそこでおしまい。長い時間をかけて計画した復讐も実行できません。もし三谷に100%勝てる(あるいは死なない)裏付けがあったのであれば別ですが、作中には書かれていません。他にも「畑柳庄蔵は獄中に発病してこの世を去った」と書かれているのに実際には生きていたり、三谷は倭文子の素性を知っていたのに「三谷青年は彼女(=倭文子)の素性を少しも知らないで彼女に激しい思いを寄せた」と書かれていたり、矛盾している描写が散見されます。これらの描写には何の含みも感じられず、物語の前提、事実のように書かれているので、与えられた情報から犯人を推理して読む読者からはこのような単なる嘘とも言える描写は反則と捉えられても仕方ないでしょう。
全てを知った上で読み返すとあちこちで粗が目立つ一方(乱歩自身、整理しきれていなかった?)、「なるほど、こういうことだったのか」と腑に落ちる部分も少なくありません。整合性を求める方には駄作かもしれませんが、個人的には楽しめたので星4つとしました。
なお、本作は少年探偵団シリーズでお馴染みの小林少年が初めて登場した作品であり、「魔術師」でキーパーソンとして登場し、明智の恋人となった文代も助手として活躍します。さらにラストには明智と文代が結婚式を挙げることが書かれています。
<評価>
☆☆☆☆
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