こんな記事を目にした。
藤田和之「猪木さんはよく言ってたんだけど、街で喧嘩が起こるだろ。街の喧嘩が起こったら、みんな群がってくる。その見に来た野次馬から金を取るのがプロレス。オレはそう教わった」
この考えには賛否両論あるだろう。
「プロレスはそんな野蛮で低俗なものではない。スーパーアスリートによるスポーツエンターテインメントで、誰もが楽しめるものであるべきだ」
そんな声が聞こえてきそうだ。
プロレスに何を求めているかは人それぞれ。他人のプロレス観を否定するつもりはない。プロレスが好きで楽しんでくれているなら、いちプロレスファンとして嬉しい気持ちもある。だが、そんな健全とも言えるプロレスが一般大衆に受け入れられ、よりポピュラーなスポーツになってしまったら、私の理想のプロレスとはますます乖離してしまうという不安もある。
そう、私の理想のプロレスとは、猪木の考える(人によっては野蛮で低俗と感じるような)プロレスだ。
もちろん私がプロレスに求めている要素は1つではないが、キーワードは「闘い」と「非日常」だ。
「街の喧嘩」は本気の感情を剝き出しにした闘いであり、非日常である。それ故に見る者を惹きつける。決して街の喧嘩を肯定するわけではないが、プロレスはそれに最も近いものであって欲しい。
同じような感性の人は少なくないだろう。その証拠がBREAKING DOWNの人気だ。
良識のある人が見れば眉をひそめるような野蛮で低俗の最たるものであろうが、BDに「闘い」と「非日常」を感じ、つい見てしまう。正に猪木の考えを実践しているのではないか。
「闘い」と「非日常」に目を付け、BDを始めた朝倉未来は素晴らしいと思うが、遡ればTHE OUTSIDER=前田日明、UWF、そして猪木に辿り着く(それは違うと仰るマニアの方もいるかもしれないが)
いずれにしても、私の理想のプロレスが、プロレスではないジャンルに取って代わられたような寂しさがある。
私のようなプロレスファンはもはや時代遅れのマイノリティなのだろうか。
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