2000年5月、全日本プロレスのリングで丸藤正道を相手にデビューを果たした小林健太。その直後、三沢光晴が中心となりプロレスリング・ノアが旗揚げ。ノアに移籍した小林健太は徐々に蹴り技を主体としたファイトスタイルへと移行し、リングネームをKENTAに変更。ジュニアヘビー級ながら、高山善廣のような大きな選手相手にも決してひるまず、バチバチのファイトを仕掛けていった。攻撃的な性格やファイトスタイルは私を大いに魅了した。
2014年4月、KENTAはノアを退団しWWEに移籍。ヒデオ・イタミのリングネームで約5年間活躍した。WWEとの契約が解除されてからおよそ6年が経過するが、生活拠点は今もアメリカである。
その後2019年6月に、KENTAは柴田勝頼と共に新日本プロレスのリングに上がった。最初こそ大きな注目を浴びたKENTAだったがいつしか影は薄れ、持ち前のアグレッシブなファイトスタイルではなく、バックステージ(カメラマンとのやり取り)が注目されてしまうような寂しい状況になっていた。石井智宏、鷹木信悟、ザック・セイバーJr.、ゲイブ・キッドなど、手の合いそうな選手がいなかったわけではないし、ノア時代共に戦った金丸義信、石森太二もいた。しかしKENTAは新日本プロレスで輝き続けることはできなかった。
2024年の年末、拳王が動いた。2025年1月1日、日本武道館大会での対戦相手として「想い人」に言及。想い人は予想通りKENTAだった。およそ10年前の2014年、KENTAがノアを退団する直前に2人はシングルマッチで戦っている。期待通りのバチバチのファイトが展開され、結果はKENTAが勝利した。新日で燻っている今のKENTAではなく、10年前のKENTAを引き出す。KENTAが1番似合うのはノアのリングだ。そんな想いで拳王は新日のリングに上がり、KENTAに1.1武道館でのシングルマッチを要求した。「NOAH 25th ANNIVERSARY SPECIAL」と銘打たれた一戦は、打撃主体のKENTAらしいファイトスタイルが見られ、ファンの期待に応える試合となった。結果はまたもKENTAの勝利。
多くのファンが方舟への再乗船を望んだことだろう。その希望が実現した。退団から約10年、KENTAが再びノアに入団した。ノア25周年、隣にはノアを運営するCyberFightの副社長である丸藤。リング上には杉浦貴、潮崎豪、モハメド ヨネ、谷口周平もいる。藤田和之、佐々木憂流迦、OZAWAといった選手たちとのマッチアップも刺激的だ。しばらくはノアのマットはKENTAとOZAWAが中心となって盛り上がることだろう。











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