プロレス本「プロレス喧嘩マッチ伝説 あの不穏試合はなぜ生まれたのか?」<前編>

ハヤブサプロレス DVD・本

プロレス考察家、プロレスブロガーであるジャスト日本氏による書籍。
第一章から第六章に分け、全65試合を紹介している。
「喧嘩マッチ」「不穏試合」「シュート」「セメント」といったワードに胸が躍る方には特に興味深い一冊だろう。
ここではプロレスDVD「壮絶!喧嘩マッチ烈伝」に収録されている試合を除き、各章から3試合ずつ紹介したい。「壮絶!喧嘩マッチ烈伝」については↓の記事をご覧ください。

第一章 1950~70年代の喧嘩マッチ

1. 力道山 vs 木村政彦 (1954年12月22日)
2. 坂口征二 vs 大木金太郎 (1974年5月16日)
3. ウィレム・ルスカ vs イワン・ゴメス (1976年8月7日)
4. アントニオ猪木 vs アクラム・ペールワン (1976年12月12日)
5. アントニオ猪木 vs ザ・モンスターマン (1977年8月2日)
6. アントニオ猪木 vs グレート・アントニオ (1977年12月8日)

相撲か、柔道か?歴史的不穏試合となった「昭和の巌流島」
1954年12月22日、蔵前国技館 / 日本プロレス
力道山 vs 木村政彦

日本プロレス界における「元祖・不穏試合」といえる一戦。
元大相撲関脇の力道山と柔道日本一の木村政彦。力道山の引き立て役に回ることが多かった木村が「力道山のレスリングはショーだ。実力なら負けない」と語った記事が朝日新聞に掲載され、力道山がそれに応える形で一騎打ちが実現した。

61分三本勝負の日本ヘビー級王座決定戦。試合開始から15分程が経過した時、木村の蹴りが力道山の下腹部に当たる。これでスイッチが入った力道山。木村の顎に右のパンチを入れ、顔面への張り手を連打。木村はタックルで回避し一旦はロープブレイクとなるが、力道山は再び顔面への張り手と前蹴り。ガクッと崩れる木村に対し上からがぶり、顔面への蹴りを二発見舞う。木村をリング中央に引きずってきた力道山は首筋の辺りにストンピング。危険な攻撃が続く。何とか立ち上がった木村に対し、試合続行を指示するレフェリー。力道山は距離を詰め、左、右、左と三発の張り手を木村の顔面に叩き込み、木村はうつ伏せにダウン。10カウントが数えられた。
その後木村は戦える状態でなかったため、二本目は試合放棄という形で力道山が日本ヘビー級チャンピオンとなった。

噛みつき、目つき、腕折り…生死を賭けた伝説のシュートマッチ!
1976年12月12日、パキスタン・カラチナショナル・スタジアム
アントニオ猪木 vs アクラム・ペールワン

ペールワン側の要求により急遽プロレスからシュートマッチに変更。パキスタンの英雄を相手に、勝っても負けてもただでは済まないという異様な緊張感の中で行われた5分6ラウンド三本勝負。打撃はほとんどなく、派手な投げ技もない。
第1ラウンド、猪木がチキンウィング・アームロックから腕ひしぎ逆十字固めに移行するが、上手く極まらなかったのか逃げられてしまう。
第2ラウンド、猪木がバックマウントを取りペールワンの動きを封じる。スリーパーホールドあるいはフェイスロックを狙いつつ前腕部で顔面を攻撃する。映像では確認できないが、ペールワンは猪木の腕に噛みつき、猪木はペールワンの目に指を入れる。
そして第3ラウンド、猪木がチキンウィング・アームロックでペールワンの肩を脱臼させドクターストップ。猪木は「折ったぞ」とアピール。三本勝負だったが二本目以降は続行不可能となった。
この試合でペールワンは片目を失明し引退したと言われている。

燃える闘魂と黒い怪鳥の死闘は異種格闘技戦史上に残る名勝負に!
1977年8月2日、日本武道館 / 新日本プロレス
アントニオ猪木 vs ザ・モンスターマン

全米プロ空手世界ヘビー級王者で、モハメド・アリのボディガードをしていたというザ・モンスターマン。
ルールは3分10ラウンド。決着は判定、KO、ギブアップ。逆関節技は禁止。寝技3秒以内。ロープエスケープあり。投げ技、スタンドでの絞め技、ヒザ蹴りとヒジ打ちは有効。

モンスターマンの打撃と不利なルールに苦戦する猪木だったが、最後はパワーボムのような形で叩きつけ、ギロチンドロップで追い打ち。モンスターマンは痛めた左肩を押さえて立ち上がれず、10カウントにより猪木のKO勝利となった。

この試合は高く評価され、「世紀の凡戦」と酷評されたアリ戦の汚名を返上することに成功。新日本プロレスの観客動員数や視聴率も回復していった。
なお、翌年再戦を行い、グラウンドコブラツイストで再び猪木が勝利を収めた。

第二章 1980年代の喧嘩マッチ

7. アントニオ猪木 vs ウィリー・ウィリアムス (1980年2月27日)
8. ダイナマイト・キッド vs 星野勘太郎 (1982年1月15日)
9. ジャイアント馬場 vs 上田馬之助 (1983年3月3日)
10. スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ vs ミル・マスカラス&ドス・カラス (1983年12月5日)
11. 長州力&谷津嘉章 vs ブルーザー・ブロディ&キラー・ブルックス (1985年3月9日)
12. 前田日明 vs スーパー・タイガー (1985年9月2日)
13. 前田日明 vs アンドレ・ザ・ジャイアント (1986年4月29日)
14. 前田日明 vs 上田馬之助 (1986年6月6日)
15. 前田日明 vs ドン・中矢・ニールセン (1986年10月9日)
16. 前田日明 vs 坂口征二 (1986年11月24日)
17. ジャッキー佐藤 vs 神取しのぶ (1987年7月18日)
18. 天龍源一郎 vs 輪島大士 (1987年11月7日)
19. 天龍源一郎&阿修羅・原 vs スタン・ハンセン&テリー・ゴディ (1988年3月5日)
20. 大仁田厚 vs 青柳政司 (1989年7月2日)

「元祖格闘王 vs 熊殺し」は新日本と極真空手の不穏な代理戦争!
1980年2月27日、蔵前国技館 / 新日本プロレス
アントニオ猪木 vs ウィリー・ウィリアムス

映画「地上最強のカラテPART2」で熊と戦ったことから「熊殺し」の異名を持つウィリー・ウィリアムス。第2回全世界空手道選手権大会で3位となったウィリーは猪木に挑戦を表明するが、大山倍達から「他流試合禁止」を理由にストップがかかる。ウィリーは破門になるが、師匠の大山茂と新格闘術の黒崎健時のバックアップを受け猪木戦が実現した。

「プロレス対空手」の様相を呈したこの一戦は、お互いのセコンド陣も殺気立っていた。
第2ラウンド、両者もつれて場外に転落。ウィリーは馬乗りになって猪木にパンチを浴びせるが、両者リングアウトのゴングが鳴る。騒然となる会場。ここで立会人の梶原一騎が第3ラウンドからの試合再開を決断する。
第4ラウンド、再び両者もつれて場外に転落。今度は猪木が腕ひしぎ逆十字固めを極めると、ウィリーは右ヒジを痛め、猪木も肋骨を痛めたことで両者ドクターストップとなった。

ちなみに、1997年1月4日の東京ドーム大会で再戦。猪木はコブラツイスト、ウィリーは正拳突きの決め技限定ルールで行われ、最後は猪木がグラウンドコブラツイストで勝利した。

内部闘争がリングで表面化したUWF流セメントマッチ
1985年9月2日、大阪府立臨海スポーツセンター / 第一次UWF
前田日明 vs スーパー・タイガー

理想を追求するスーパー・タイガーこと佐山聡は他の選手やスタッフとの間に軋轢を生む。特に興行数を減らすという案は、自身が運営する「スーパータイガージム」での収入があった佐山とは違い、試合数(ファイトマネー)が減ると死活問題になる他の選手には受け入れ難いものだった。そして、佐山に対して「NO」を突き付けるべく前田が仕掛ける。

試合開始のゴングが鳴ると、体格に勝る前田は顔面への張り手を出しながらガンガン距離を詰めていく。さらにハーフハッチ・スープレックスで強引に投げる。前田のただならぬ雰囲気に危険を感じた佐山は、前田が放ったヒザ蹴りが金的に入ったとアピール。レフェリーは前田の反則負けの裁定を下した。
前田はこのような試合をした責任を取って辞めると語り会場を後にする。後に前田は他の選手たちの引き留めにより復帰するが、佐山はUWFを脱退し、UWFも活動停止となる。そして前田たちUWF勢は業務提携という形で新日本プロレスに復帰する。

女版「橋本 vs 小川」!日本女子プロレス史に残る戦慄の不穏試合!
1987年7月18日、神奈川・大和車体工業体育館 / ジャパン女子プロレス
ジャッキー佐藤 vs 神取しのぶ

全日本女子プロレス時代にはマキ上田との「ビューティー・ペア」で大ブレイク。全女最高峰のタイトル、WWWA世界シングル王座も獲得しているジャッキー佐藤。1981年に引退するが、1986年にジャパン女子プロレスで復帰。
一方の神取しのぶ(現・忍)は柔道でオリンピックを目指すほどの実力者だったがプロレスに転向。団体及びジャッキーとの間でトラブルが起き、ジャパン女子を引退するつもりでシュートマッチを仕掛ける。

神取が腕ひしぎ逆十字固めを極めるがジャッキーはロープに逃れる。両者立ち上がると突然神取がジャッキーの顔面に数発のパンチを見舞う。明らかにプロレス的なパンチではない。レフェリーの注意を受けるが神取は止めず、ジャッキーもノーガードで挑発する。今度は神取が四つん這いになり「来い」とジャッキーを挑発。ジャッキーはバックを取るが、神取はあっさりと有利なポジションを取り返しV1アームロックを極める。戦意喪失気味のジャッキーは一度場外へ降りるが再びリングの中へ。ここからジャッキーも意を決したかのようにパンチを繰り出すが、終始神取が優勢。最後はチキンウィング・アームロックでジャッキーがギブアップ。緊張感に包まれた危険な一戦となった。

第三章 1990年代の喧嘩マッチ その1

21. ビッグバン・ベイダー vs スタン・ハンセン (1990年2月10日)
22. 橋本真也 vs 栗栖正伸 (1990年8月3日)
23. 北尾光司 vs ジョン・テンタ (1991年4月1日)
24. ジャンボ鶴田 vs 川田利明 (1991年10月24日)
25. 高田延彦 vs トレバー・バービック (1991年12月22日)
26. 小林邦昭 vs 齋藤彰俊 (1992年1月30日)
27. 川田利明 vs スタン・ハンセン (1992年4月6日)
28. 越中詩郎 vs 青柳政司 (1992年5月1日)
29. 高田延彦 vs 北尾光司 (1992年10月23日)
30. 天龍源一郎&北原光騎 vs 木村健悟&越中詩郎 (1992年10月23日)
31. 佐竹雅昭 vs 長井満也 (1992年10月29日)
32. 北斗晶 vs 神取忍 (1993年4月2日)
33. 小林邦昭 vs 北原光騎 (1993年6月25日)
34. 藤原喜明 vs 石沢常光 (1993年7月21日)
[特別インタビュー①] 北原光騎「プロレスラーは舐められたら食っていけない」

プロレス界を騒然とさせた前代未聞の八百長発言!
1991年4月1日、神戸ワールド記念ホール / SWS
北尾光司 vs ジョン・テンタ

どちらも大相撲出身。角界では北尾の方が格上だが、プロレス界ではテンタの方が格上という微妙な関係。
バックを取ったテンタがやや強引に投げると、場外にエスケープした北尾は放送席の机を投げつけ怒りを露わにする。リングに戻ると北尾は脇固めを狙う。しかしテンタは力で振り払う。受けないテンタに対し苛立つ北尾。以降もまともなプロレスにはならず、不穏な空気の中にらみ合いが続く。すると北尾が人差し指と中指で目潰しの威嚇。この行為にテンタは激昂。北尾の蹴りに対しても効いていないと挑発する。その後北尾はレフェリーを蹴って反則負け。リングを降りた北尾はマイクを握り「八百長野郎、この野郎!八百長ばっかりやりやがって!」と叫んで控室に戻っていった。この後北尾はSWSを解雇されることになる。

ちなみに、同日行われたアポロ菅原vs鈴木みのる戦も不穏試合だった。

北尾最強幻想崩壊!プロレス世界王者vs大相撲横綱の大一番!
1992年10月23日、日本武道館 / UWFインターナショナル
高田延彦 vs 北尾光司

元WBC世界ヘビー級チャンピオンのトレバー・バービックに勝利、さらにゲーリー・オブライトを破って初代プロレスリング世界ヘビー級王者となった高田。対するは、SWSを解雇され総合格闘家に転向し、Uインターのリングで山崎一夫に勝利している北尾。
試合前、ルール等に対して北尾サイドからの要求があり交渉は難航。チケットは既に売れており、Uインター側は北尾の要求を呑まざるを得ない。しかし北尾は「蹴りは本気で蹴ってきても大丈夫」と発言。そのような状況下で「格闘技世界一決定戦」は行われた。

第1ラウンド、高田はローキックを中心に、時折上段への蹴りをヒットさせる。
第2ラウンド、北尾が膝蹴りから豪快な裏投げ。しかしすぐに高田が上のポジションを取り腕ひしぎ逆十字固めの体勢に入る。北尾は両手をクラッチしてなんとかロープエスケープ。再びローキックで下に意識を向けさせハイキックを狙う高田。
そして第3ラウンド、高田の強烈なローキックで無防備になった北尾の顔面に右のハイキックがクリーンヒット。崩れるようにダウンする北尾。なんとか立ち上がろうとするが、10カウントが数えられ高田のKO勝利となった。

女子プロレス・オールスター戦で誕生した伝説の喧嘩マッチ!
1993年4月2日、横浜アリーナ / 全日本女子プロレス
北斗晶 vs 神取忍

初の女子プロレスオールスター興行「ALL STAR DREAM SLAM」で行われた、全日本女子プロレスの北斗晶とLLPWの神取忍による「デンジャラス・クイーン決定戦」
時間無制限・リングアウトなしの完全決着ルール。

北斗の右ストレートで試合は始まる。北斗はマイクを握り、ダウンした神取に「テメーの実力はそんなもんか!立ってみろ!」と挑発。立ち上がった神取は北斗の腕を取り、左肩に大ダメージを与える。
戦いの場を場外に移すと、神取が本部席の机の上でツームストン・パイルドライバーを見舞う。流血する北斗。一度はリングに戻った両者だが再び場外戦となり、今度は神取が流血。顔面を真っ赤に染めた両者がリングに戻ると、神取がブレーンバスターの体勢から北斗を場外へ放り投げプランチャ。リングに戻ると北斗が高速のドリル・ア・ホール・パイルドライバー、顔面へのバックスピンキックで反撃。その後も一進一退の攻防が続き、神取がパワーボム、北斗がドラゴンスープレックス、神取が絞め技、北斗がサンダーファイヤーパワーボム、さらに場外へ落ちた神取に北斗はトップロープからのトペ・コンヒーロ、コーナー最上段からの場外ミサイルキックを立て続けに見舞う。リングに戻ると神取はタイガードライバーを決め、北斗は神取の右腕をクラッチしてのバックドロップホールド、さらにノーザンライトボムを見舞うが神取はカウント2で返す。すると今度は神取が掟破りのノーザンライトボム。北斗もカウント2で返す。満身創痍の両者が顔面にパンチを1発ずつ見舞い、その後顔面パンチの相打ちで両者ダウン。北斗がなんとか神取の体にかぶさり3カウント。試合時間30分37秒。伝説の名勝負として語り継がれる壮絶な喧嘩マッチは北斗の勝利で終わった。

試合後、北斗はリング上でマイクを握り「神取、聞こえるか!お前はプロレスの心がない!プロレスはプロレスを愛する者しかできない!柔道かぶれのお前に負けてたまるか!」と絶叫した。

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